横丁の錆びついた看板の向こうから響いてくる、かつての狂気的な繁栄の地鳴り。その圧倒的な余韻を腹に抱えたまま、私たちは黒石駅前へと向かった。
五月十二日。この日の津軽は、半袖でちょうどいいほどの夏日だった。乾いた太陽の光が降り注ぐ駅前の角地に、ポツンと佇む一軒の古い食堂がある。

「すごう食堂」
白い暖簾の傍らには、大書された“津軽百年食堂──つゆ焼きそば”の看板。映画のモデルにもなったというその佇まいは、実に趣深い二階建ての木造建築だ。一階の青いトタンの庇(ひさし)が、中央に向かってなだらかなアールを描いて湾曲している。冬、出入り口に雪がドスンと落ちてこないように設計されたのだろうか。豪雪地帯である青森ならではの、生活の知恵が刻まれた独特の建築様式に、思わず目が留まる。
ガラリと引き戸を開けて、中へ入る。
「いらっしゃい」
迎えてくれたのは、店主のお母さんがひとり。
店内には、先客である親子の二人連れがいた。傍らには大きなバッグとスーツケースが置かれている。遠方から帰郷した息子を、お母さん、あるいは、おばあちゃんが出迎えに来たのだろうか。二人は時折、東北の柔らかなイントネーションで、ぼそぼそと静かに言葉を交わしている。
見上げれば、壁一面、あるいは天井にまで、百年食堂のポスターやねぶたの祭りポスター、精度高く並ぶ各種メディアの取材記事がぎっしりと貼られていた。大正元年の創業から、この街の胃袋を実直に支え続けてきた歴史の厚みが、その空間のすべてに染み込んでいる。

壁に掲げられたメニューを見札すると、優に五十種類は超える品名がズラリと並んでいた。ラーメンから丼もの、定食まで、ここに来れば何でも食べられる、街の万能な食堂だ。
物腰の柔らかいお母さんに向けて、同行した友人三人とともに声を合わせる。
「つゆ焼きそば、お願いします!」
注文を終え、旅の息を整えていると、ほどなくしてお母さんがお盆を運んできた。ところが、何やら私たちの頼んだものとは違うメニューが、目の前のテーブルにトントンと配膳される。
「ん? お母さん、これウチじゃないよ」
「あ……あちらの」
お母さん、先客のあのスーツケースの親子の注文を、間違えて私たちのところに持ってきてしまったようだ。
「どうもごめんなさいね。一つやると、一つ忘れちゃうんだよぉ(笑)」
困ったように、でもお茶目に笑うお母さんの表情が、たまらなく愛らしい。
「いえいえ〜全然大丈夫ですよ!」
「ゆっくりやってくださいね」
そんなやり取りのあと、いよいよ待ち望んだ本尊が、お母さんの使い込まれた木製のお盆に乗って運ばれてきた。
目の前に置かれた「つゆ焼きそば」。

一見すると、天かすとネギがたっぷりのった「かけうどん」のようにも見える。しかし、なみなみと注がれたスープの色見は、明らかに濃いソースの琥珀色だ。
レンゲでスープをすくい、口に運ぶ。
やさしい味だ。なのに、どこか強烈に懐かしい。
ベースにある和風出汁の柔らかな旨味の奥から、焼きそばのジューシーなソースのコクと酸味が、しっかりとした奥行きを持って追いかけてくる。初めて食べるはずの味なのに、なぜか DNA のどこかが知っているような錯覚を覚える。
箸を入れれば、スープを吸った平打ちの太麺。そして天かす、ネギ、キャベツ、玉ねぎ、さらには豚肉がしっかりと顔を出す。ソース焼きそばの主役たちが、温かいスープの中で完璧に調和して勢ぞろいしていた。
かつて激しい農作業や、地鳴りのような「黒石よされ」で汗を流し尽くしたこの地の人々が、どれほどこの温もりと強い塩気を欲し、胃袋を救われてきたか。五十を過ぎた身体に、この優しくも五臓六腑に染み渡るスープの味は、本当にありがたく、深く身に徹する。
夢中で平らげ、最後にお勘定をお願いした。
お母さんのあの愛らしい雰囲気と、一人で切り盛りする姿を見ていると、なぜだか自然と「なるべくお釣りの出ないように、ぴったり小銭で支払いたい」という気持ちにさせられる。財布からきれいに端数を出して、手渡した。
「美味しかったー! また来るよ。お母さん、元気でやっててね!」
店を出ると、五月の津軽の風がふっと半袖の腕を通り抜けていった。
また必ず寄ろう。あのお母さんの笑顔と、あのスープの温もりを、私は静かに心に留めた。


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