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荒野の劇場に、黒石の地鳴りを聴く ── 青森県黒石市

旅の目的をあらかじめ綺麗に決めておくのは、仕組まれた観光地を消費するのには都合が良い。しかし、土地がふっと放つ本当の光の断片に出会うには、邪魔になることもある。

青森県黒石市。

「津軽伝承工芸館」を後にした私たちは、黒石市役所の庁舎へ足を運んでいた。この街に何百年と受け継がれた伝統「黒石よされ」について、その歴史と熱量の底にあるものを深く知りたかったからだ。

アポなしの、突然の訪問。だが、インフォメーションの窓口からして、対応は温かいものだった。

他所から来た旅人の問いかけに対し、嫌な顔一つせず、親身になって担当課へと繋いでくれる。観光課の職員もまた、この街の文化への誇りと人情をもって、丁寧に話を聴かせてくれた。

効率やマニュアルだけで割り切れない、この地の人々が持つ特有の体温。

その心地よい余熱を胸に抱いたまま、私たちは市役所から歩いてすぐの古い通りへと足を向けた。

江戸時代から続く木造のアーケード「こみせ」が今も残る空間。五月の津軽の風はどこか乾いていて、古い木肌の匂いを微かに運んでくる。何も決めず、ただその風情を味わいながら歩いていると、ふっと、開け放たれたひとつの古い蔵が目に留まった。

「何だ、この蔵は?」

予備知識は何もなかった。ただ、その開かれた佇まいに何となく引き寄せられるようにして、私たちは中を覗き込んだ。

薄暗い蔵の内部から、微かな光が漏れている。

カメラを構えた人間が、真剣な面持ちで何かを撮影していた。どうやら、メディアの取材が入っている様子だった。

ふとした拍子に、中にいた人々とちらりと目が合った。

彼らはレンズをこちらに向けたまま、不意の来訪者に少し気遣うような素振りを見せる。

「こんにちはー、中、見せてもらえますか?」

こちらの声に、一瞬の間を置いて、奥から声が返ってきた。

「あ……いいですよ」

どうやら、応対してくれたのは館の方ではなく、取材に訪れているスタッフのようだった。

「邪魔しませんので、遠慮がちに拝見しますね」

「あー、どうぞどうぞ」

カメラが再び回り始める。私たちはその静かなシャッター音と、空間の気配を壊さないよう、息を潜めるようにして一歩、中へ足を踏入れた。

一歩入ったその空間で、私たちは言葉を失った。

薄暗い蔵の壁面に、ずらりと並んでいたのは、石原裕次郎、あるいは美空ひばり。昭和の銀幕を鮮やかに彩った大スターたちの、全盛期の写真やレコードの数々だった。

ここは一体、何なのか。

圧倒されながら展示の文字を追ううちに、ようやく輪郭が見えてくる。そこは、この黒石から生まれた、昭和の歌謡界・銀幕の歴史を創り上げた高名な作曲家兄弟の記憶を遺す、個人博物館だった。私たちはそもそも、その作曲家の方々の存在すら知らなかった。本当にたまたま歩き、たまたま目に留まった蔵に入っただけだったのだ。

邪魔にならないよう遠慮がちに蔵を後にしようとしたとき、先ほどの取材陣──テレビ東京のクルーから声をかけられた。

「ここ、オーナーが大変なご高齢ということもあって、普段は滅多に開かないんですよ。今日は本当に珍しいタイミングなんです」

鳥肌が立つような感覚が、後からじわじわと押し寄せてきた。

その幻の蔵を抜け、さらに通りを接続するように進むと、風景はもうひとつの時空へと繋がっていた。

突如として現れた、膨大な店舗数を誇る夜の飲食街。何本もの筋を成す横丁。

いまや、だいぶ昭和の廃れ感が哀愁を漂わせている。しかし、その錆びついた看板の密度、迷宮のような路地の奥行きを見つめていると、かつてここにこれほどの繁栄をもたらした背景とは一体何だったのかと、強烈に興味をそそられる。

その背景を少し紐解けば、かつての黒石は、津軽平野中から莫大な富が集まる一大プラットフォームだったのだという。江戸期の豊かな城下町の記憶。そして近代、リンゴ経済の爆発的な好景に沸いた時代。農繁期を終え、大金を掴んだ周辺の農家や勝負師たちが、こぞって夜の金を落としに雪崩れ込んだのが、まさにこの横丁だったのだ。

その事実が重なった瞬間、私の脳内で、ひとつの劇的なイメージが結ばれた。

それは、名作『オペラ座の怪人』の冒頭、廃墟となった劇場のシャンデリアから布が剥ぎ取られ、一瞬にしてかつての絢爛豪華な黄金期へと時間が巻き戻っていく、あのモノクロから色彩への跳躍のようだった。

先ほど市役所で職員たちが語ってくれた、何日も寝ずに命を燃やして踊り明かす「黒石よされ」の狂気。

この狭い路地へ流れ込んでいた、富を掴んだ男たちの生々しい息遣いや喧騒。

そして、この同じ土壌から生まれ、昭和という激動の時代に人々の心へ寄り添う名曲を数多く紡ぎ出した天才作曲家たちと、壁の向こうから確かにこちらを見つめていたスターたちのポートレート。

ここは、かつてアメリカの「ルート66」沿いで栄華を極め、いまは広域バイパス化などの時代の変化によって静かに眠る、荒野の宿場町(ゴーストタウン)の空気にも似ている。仕組まれた観光レトロではない。かつて確かに存在した人間の激しいエネルギーの残像が、そのままそこに置き去りにされている。

たまたま訪ねた市役所で触れた、人の温もり。

たまたま歩いた、五月のこみせ通り。

たまたま開いていた、幻の扉。

そして、その裏に広がる、かつての繁栄の跡地。

すべては偶然の連続であり、完全なる「縁」だった。かつてここにこれほどの繁栄をもたらした背景が何だったのか、その答えを安易に消費することはできない。しかし、だからこそ、土地の足音をありのままに測量することはやめられない。

遠慮がちに横丁を後にした私たちの耳には、ひっそりとした路地の静けさの向こうから、あの劇場のパイプオルガンのような、分厚く、圧倒的な時代の地鳴りが確かに響き渡っているような気がした。

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