軌道が潜り、山を登る――仙台市地下鉄と100年の体温を測る

長町から富沢へ、静けさの底へ降りていく

阿武隈急行線から東北本線へ乗り継ぎ、長町駅で電車を降りた。

長町で降りるのは何年ぶりだろうか。東口のあたりは再開発でずいぶんと景色が変わり、かつての風情を探す方が難しくなっている。だが、今日の目的は長町駅そのものではない。

目指すのは、仙台市地下鉄南北線だ。

本線の改札を出て少し歩く。案内表示はわかりやすく、連絡もわりかしスムーズだ。

ホームに降り立つと、南へ向かう客足は極めて少なく、人影はまばらだった。滑り込んできた車両に友人と乗り込むと、ほぼ貸し切り状態。ついさっきまで揉まれていた東北本線のすし詰め状態とのギャップに、顔を見合わせて思わず笑ってしまった。

「すごいね、喧騒から一気に静寂だ」

ガラガラの座席に腰を落ち着け、電車は南へと滑り出す。

乗客のいない南北線の車内。中吊りに仙台市交通局100周年の広告
乗客のいない南北線の車内。中吊りに仙台市交通局100周年の広告

終点に近づくにつれ、地下の暗がりを抜けて徐々に地上へと顔を出した。

程なくして、地上2階の高架ホームにある富沢駅へ到着する。

普通の終着駅なら車止めがあるはずだが、ここは違う。その先に地下鉄の心臓部である「富沢車両基地」が控えているため、高架橋の上の線路は基地の奥へとそのまま伸びているのだ。

富沢駅で降りるのは初めてだった。外はあいにくの雨模様。

「傘、持ってきてよかったな」

雨の日、傘越しに見上げた富沢駅の駅名標
雨の日、傘越しに見上げた富沢駅の駅名標

改札を出て、駅の高架下を流れる笊川の橋を渡る。

歩き進めると、真新しい住宅やマンションの合間に、旧家であろう立派な農家の門構えが顔をのぞかせる。新旧が混ざり合う住宅街を通り抜け、20分あまりでのどかな空気の中に佇む基地の門前へと行き着いた。

守衛さんに見学に来た旨を伝え、敷地内にある「仙台市電保存館」の開館(10時)をしばし待つ。

富沢車両基地の守衛所と「市電保存館」の案内
富沢車両基地の守衛所と「市電保存館」の案内

トイレを借りる道すがら、ふと視界が開けた。車両を整備する巨大な工場建屋、そしてその奥に広がる風景。

「ああ、ココが高速から見えるところか……」

「おお……」

仙台南部道路を走る際、車窓から幾度となく行き来しながら眺めていたあの基地の真ん中に、いま自分たちが立っている。その日はしんと静まり返っており、胸の奥に静かな感動と興奮がじわじわと広がっていった。

富沢車両基地・仙台市電保存館:大正と昭和の息遣い

市電保存館の建物の入口壁面には、紐のついた鐘がひとつ吊るされていた。あとでスタッフの方に聞くと、かつて路面電車が停留所を発車する際、乗客や周囲に知らせるために鳴らしていた本物の「発車合図鐘」だという。

仙台市電保存館の入口。銘板の脇に下がる鐘の紐
仙台市電保存館の入口。銘板の脇に下がる鐘の紐

10時の開場を待って館内へ入る。

スタッフの方と軽く挨拶を交わす。入館料は無料。他に客の姿はなく、友人と二人きりだ。誰にも邪魔されない静かな時間が流れる空間を、私たちは心から喜んだ。なんとも贅沢な時間である。

真っ先に目に飛び込んできたのは、窓越しにも見えていた1号車。大正15年の開業当時から街を走っていた、臙脂(えんじ)色の木造車両だ。

「おお……中にも乗れるではないか」

足を踏み入れ、運転席と車掌席に立つマネキンに軽く会釈する。

使い込まれ、無数の靴底に磨かれた木製の床が鈍く光っている。両側に対面する紺色のモケット生地の椅子に、クリーム色の電灯が柔らかい光を落とす。

1号車の車内。紺のモケットの座席と木の床、運転台に立つマネキン
1号車の車内。紺のモケットの座席と木の床、運転台に立つマネキン

チンチンチンチン……。

ガタンゴトン、ガタンゴトン……。

目を閉じると、乗客の声や街のざわめきが、まるでいま耳元で鳴っているかのように立ち上がってくる。制帽をかぶった学生に女学生、背広に刈り上げ七三分けの紳士、野菜を満載した背負子を背負ったモンペ姿のおばちゃんたち。

「おぉ……こっちは昭和に走っていた車両か」

隣に並ぶ昭和38年製造の400型は、クリーム色と緑のツートンカラーをまとい、大正の木造車とは打って変わって近代的な顔つきをしている。どこか市バスのような親しみやすさがあり、進化の跡がはっきりと見て取れる。昭和42年に施されたというワンマン化改造の文字を眺めながら、思わず声が漏れた。

クリーム色と緑の415号。「東一番丁」「ワンマン」の札
クリーム色と緑の415号。「東一番丁」「ワンマン」の札

「へぇ、乗りたかったなぁ」

もっとも、昭和38年にせよ42年にせよ、私はまだ生まれてすらいない。それなのに、なぜか胸の奥に「郷愁」という言葉がしっくりと落ちてくる。

館内に展示された当時の仙台のジオラマを友人と覗き込んだ。

「へー、昔の仙台駅ってこんなだったんだ」

「あ、ここエックス橋だ」

「お、あっちは大学病院かな」

「あぁ……ここを市電が走っていたのか。ふぅ~ん」

「面白いねぇ」

市電が走った頃の仙台駅周辺を再現したジオラマ
市電が走った頃の仙台駅周辺を再現したジオラマ

貸し切りの展示室で、二人で指を差しながら時間を忘れて見入ってしまった。

東西線・竜の口橋りょうを越えて:日本一の駅へ

「さてと、次は東西線に乗って日本一高いところにある地下鉄駅に行ってみよう」

富沢から仙台駅へ戻る電車は、長町あたりから乗客が増え始め、仙台に着く頃には体感で6割ほどの座席が埋まっていた。まずまずの乗り具合だ。

仙台駅で東西線へと乗り継ぎ、西の八木山動物公園方面を目指す。

宮城県に暮らしながら、東西線を西の終点まで乗り通すのは私も友人も初めてだった。普段の移動を自家用車に頼り切っている証左でもある。かつて市電を追いやった「クルマの日常」が、自分たちの足元にも染み付いている。

列車が仙台を出ると、青葉通一番町、大町西公園、国際センター、川内と続いていく。車窓のない暗闇の中でも、駅名を聞くたびに「ああ、ここには昔あのお店があったな」などと記憶が蘇り、歳をとったものだと感慨にふける。青葉山あたりからは、大学(東北大学の青葉山キャンパス)があるせいか、学生や外国人客の姿が目立っていた。

やがて電車が青葉山を過ぎたあたりで、ふっと地下を抜け出し、前方に深い渓谷が広がった。

「おお、鉄橋だ!」

「地下鉄が鉄橋を走るんだねぇ」

「ここ、リニアモーターなのかね」

眼下に広がる竜の口渓谷の深さに息を呑む。市街地から山の上へと一気に駆け上がるこの路線では、急な坂を上るため、車輪で車体を支え、磁力で進む鉄輪式リニアモーターが採用されている。二層構造になった「竜の口橋りょう」の下段を、列車は力強く渡りきっていく。

友人とあちこちキョロキョロ見回しているうちに、12〜13分ほどであっという間に終点へ滑り込んだ。

第二の目的地、八木山動物公園駅。地下にある駅として日本一の標高、海抜136.4メートル。

屋上には市街地から太平洋まで一望できる展望スペース「八木山てっぺんひろば」があるらしいが、雨のため眺望は望めそうになく、今回は見送ることにした。

八木山動物公園駅のホーム。「136.4m」の表示
八木山動物公園駅のホーム。「136.4m」の表示

越路山を切り拓いた人

八木山動物公園という駅名を聞けば、宮城で育った者なら、たいてい口ずさめる八木山ベニーランドのCMソングが真っ先に思い浮かぶ。かつてベーブ・ルースが、昭和9年(1934年)11月9日の日米野球でホームランを放った伝説の「八木山球場」があった場所でもある。

私自身、幼い頃に親に連れてきてもらった記憶がある。仮面ライダーのモニュメントの前で、半ズボンに野球帽をかぶった弟と並んで撮った古い写真が今も手元にある。子どもが小さかった頃にも、同じようにこの動物園へ連れてきたものだ。

だが、この「八木山」という土地の生い立ちを紐解くと、当時の豪商・八木久兵衛の存在に行き当たる。

かつて「越路山」と呼ばれ、荒れ果てていた山を、仙台の味噌・醤油醸造元「紅久」の4代目八木久兵衛が私財で買い取り、5代目がその開発を引き継いだ。

市民の健康を増進し、憩いの場をつくりたい――そう願って道路を切り拓き、吊り橋(八木山橋)を架け、遊園地や野球場を整備したという。

さらに感嘆させられるのは、これらを完成させたあと、球場は宮城県へ、のちに一帯は仙台市へと寄付されたという事実だ。

利益を独占せず、見返りも求めず、すべてを街の公共に差し出す。この精神性は一体どこから来るのだろうか。

私の住む街にも、あるいは東北の他の地を巡っていても、似たような話を幾度となく耳にしてきた。私財を投げ打って橋を寄贈した人、鉄道を引いた人、用水路や水道を通した人。日本各地に、名利を超えて動いた先人たちが確かにいた。

「地域を思い、国を思う」

この国のあちこちに、こうした人たちがいたのだろう。その志の大きさに、ただただ頭が下がる思いがした。

暮れゆく横丁と、100年の足音

八木山を歩いたあと、「日本一高い駅」の余韻そのままに、看板に大きく“日本一”と掲げるとんかつ蕎麦の名物店へ友人と足を運んだ。二人でガッツリと昼飯を平らげ、腹を満たしてから再び東西線に乗って街へ引き返す。

八木山の蕎麦屋。「日本一」の看板
八木山の蕎麦屋。「日本一」の看板

青葉通一番町で途中下車し、文化横丁(通称文横)から壱弐参(いろは)横丁へと足を向けた。

映画館「文化キネマ」の脇にあったことから名付けられた文化横丁は、昨年(2025年)に100周年を迎えたという。壱弐参横丁も、昭和二十一年(1946年)から数えて、今年で80周年を迎えた。市電の100年と、横丁の100年と80年。この街のあちこちで、同じように年輪が重なっている。

雨上がりの文化横丁。看板と赤提灯
雨上がりの文化横丁。看板と赤提灯
壱弐参横丁の入口にある立ち食いそばの店先
壱弐参横丁の入口にある立ち食いそばの店先
壱弐参横丁の稲毛屋
壱弐参横丁の稲毛屋

肩を並べて歩きながら路地を見渡すと、以前から馴染みのあった古い店はずいぶんと暖簾を下ろしてしまっていた。その代わりに、若い店主たちが新しく始めた小さなお店がいくつか目に入る。

シャッターの下りた店が続く壱弐参横丁の通路
シャッターの下りた店が続く壱弐参横丁の通路

街が新陳代謝を繰り返し、形を変えながら息を繋いでいく。寂しさと頼もしさが入り混じる、これもまた時代の流れなのだろう。

雨上がりの青葉通りをふらりと歩いて、仙台駅へと戻ってきた。肌をなでる風は冷たく、街にはすっかり秋の雰囲気が深まっていた。

八木家は、八木山の開拓にとどまらず、かつてこの街を走り始めた市電の開通にも多額の私財を投じたという。

大正15年11月25日に産声をあげた仙台市交通局は、間もなく創業100年を迎える。

木造の市電がチンチンと鐘を鳴らして舗装もまばらな道を走っていた時代から、鉄路は地下へ潜り、谷を渡り、山の上へと登るようになった。形はどれほどハイテクに変わろうとも、街を愛し、人々の暮らしを運ぼうとした先人たちの志と体温は、この鉄路の底にいまも脈打っているように、私には思えた。

文・写真:東北ROUTE66編集部 五郎左衛門

関連リンク

  • コメント: 0

関連記事

  1. 【Road Tales】国道287号、流れる赤い看板と「?」——長井市・おもちゃのしぶや、最後の秋

  2. 水飛沫と炭の匂い――白鷹・最上川のやな場にて

  3. 街道のシェルターは眠らない ― 二本松バイパスドライブインで、1972年の呼吸を聴く

  4. 【青森・紀行】奇妙と日常が溶けあう境界へ——木造駅の巨大土偶と、新郷村「キリストの墓」を巡る旅

  5. 猪苗代、湖面を滑り、時の底をのぞく(第 1 篇)

  6. 令和八年元旦、羽黒山。雪中13km。

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。


Warning: Undefined variable $user_ID in /home/veeell/road-trip-tohoku.com/public_html/wp-content/themes/gensen_tcd050/comments.php on line 171