【第一回】廃墟の門前で、春の足音を聴く。
― 白石・小原温泉「かつらの湯」

美しさとは、光の当たる場所だけに宿るものではない。 白石市小原温泉。「かつらの湯」へ向かう道すがら、私はかつての繁栄の残像と対峙することになる。

入口に鎮座する「旅館かつらや」の巨大な廃墟。かつてはこの岩風呂を管理し、バブルの熱狂を背負った老舗宿は、今や音もなく立ち尽くしている。その門前を通り過ぎ、静まり返った廃墟の影を抜けて階段を下りていくプロセスは、まるで現代から別の時間軸へと潜り込んでいくような、奇妙な哀愁に満ちている。
美しさとは、光の当たる場所だけに宿るものではない。 白石市小原温泉。「かつらの湯」へ向かう道すがら、私はかつての繁栄の残像と対峙することになる。
入口に鎮座する「旅館かつらや」の巨大な廃墟。かつてはこの岩風呂を管理し、バブルの熱狂を背負った老舗宿は、今や音もなく立ち尽くしている。その門前を通り過ぎ、静まり返った廃墟の影を抜けて階段を下りていくプロセスは、まるで現代から別の時間軸へと潜り込んでいくような、奇妙な哀愁に満ちている。

だが、その沈黙の先に、確かな「体温」が待っていた。 番頭のおじさんが手書きで日付を記した、一枚のホワイトボード。消えゆく宿のすぐ傍らで、毎日欠かさず更新されるその筆跡には、この場所を絶やさないという静かな意志と、人肌のぬくもりが宿っている。これこそが、地域の営みが放つ究極の様式美ではないだろうか。

十五時。対岸へと続く吊り橋から俯瞰すれば、傾いた西日が川面を黄金色に染め、切り立った岩壁がその光を柔らかく照り返している。湯船に体を沈めれば、キリリと熱めの湯が心地よい。 「今日は会えましたね」「おっ、久しぶり」 湯気に混じり、地元の方々の飾らない日常が洞窟内に響く。

「そろそろ畑、準備したか?」「おう、今年はじゃがいもを早めに植えちまおうと思ってよ」 春を待つ土の匂いが、湯の香りと共に鼻をくすぐる。 私自身も農業に携わる身。彼らが語る作付けの話を聞いていると、この熱い湯がただの娯楽ではなく、一日の労働で強張った体を解き、明日また土に向かうための「儀式」であることを知る。
豪華な設備は何もない。だが、ここには石鹸では洗い流せない人生の機微がある。 二百円の入湯料で受け取るのは、岩と水だけではない。 東北の片隅で、今も静かに脈打つ「人が営む体温」そのものなのだ。
あれから三ヶ月――六月、普段着の温泉
季節は巡り、あのモノトーンだった小原渓谷は、いま、眩いほどの深い碧(あお)に包まれている。
つい先日、私は再びあのかつらの湯へと車を走らせた。
車を降りてまず驚かされたのは、かつての宿「旅館かつらや」の佇まいの変化だ。
三月に訪れたときは、寒々とした空気のなかでただ静まり返るグレーの影のように見えた廃墟。しかし、いま私の目の前にあるその巨大な躯体は、周囲から容赦なく生い茂る青葉や蔦に覆われ、まるで自然の圧倒的な生命力に飲み込まれようとしているかのような、また違う凄みを放っていた。
駐車場の奥、山側の斜面にふと目をやると、生い茂る緑の中にひっそりと、赤茶色に錆びついた大きな解説板が佇んでいた。
剥がれかけた文字を読み解いていく。そこには、この土地が経てきた一つの時間が記録されていた。
「小原のサイカチ」
樹齢約四百三十年。昭和三十八年にこの小原温泉街を襲った大火災の猛火を耐え抜き、昭和五十六年に国の天然記念物に指定された巨木。しかし、指定の直前に自然倒木し、昭和五十八年には枯死のため「天然記念物指定を解除」されたという。
天然記念物が枯死によって指定解除される例は、全国的にも極めて珍しい。大火を生き抜き、人々にその威風を見せ、そして静かに役割を終えて眠りについた巨木。
今から四十年前、白石市によって建てられたその解説板も、いまや温泉街の衰退とともに錆びつき、誰に気づかれることもなく山肌の緑に埋もれかけている。

その足元には、福島ナンバーの大型バイクが静かに佇んでいた。
いつもの温泉へと続くアプローチは、三月とは全く違う、生命力に満ちた「萌える新緑」のトンネルへと姿を変えていた。
渓谷に架かる吊り橋を見上げると、そこには五月の残り香があった。
深い緑のグラデーションのなか、清流をのぼるように飾られた色鮮やかな鯉のぼりたちが、川風に揺れている。

さらに進めば、あの路肩の柵には、今日も力強いおじさんの手書きホワイトボード。
「令和八年 六月二日 火曜日」「嵐の前の静けさ 台風6号接近」――変わっていく季節の中で、ここだけは三ヶ月前と変わらないリズムで、毎日、誰かの手によって確かな“体温”が吹き込まれている。

入口にある番台の小屋。
交代制でいつも誰かが番をしているそこへ顔を出し、中にいるおじちゃんに二百円を手渡す。
暖簾をくぐって、階段を十段ほど下手に下りる。
この日は、ここにしては珍しく混んでいた。
混んでいると言ってもせいぜい五人ほどなのだが、六人も入ればちょっと窮屈に感じるあの小さな湯船だ。先客は、相変わらずのリタイヤ組の常連さんたちである。
湯気に包まれながら耳を澄ませば、繰り広げられているのはお馴染みの温泉自慢と、病気の話。
「乳頭温泉は大体入ったな、好きだから」
「あそこもいいな……」
尽きることのない温泉談義。私を含めて四人になった狭い湯船のなかで、会話が響いては消えていく。
「じゃ、御先ねー」と一人が上がると、入れ替わりで、
「ハイどうも~こんぬづは」と新しい常連さんが入ってくる。
湯船からも自然と「こんにちは~」と声が返る。
階段を降りながら、挨拶を交わしつつ、手際よく服を脱いでいく。その無駄のない、こなれた仕草。これこそが、かつらの湯特有の、長年培われてきた日常の呼吸なのだろう。
そこへ、もう一人が入ってきた。
「おおどうも。しばらくだったね」
「あぁどうもどうも」
「お宅はどこだっけ?」
「俺は相馬だ」
「おぉ、相馬だったがい」
湯船の会話が弾む。常連さんが、先ほどの大型バイクでやってきた若い先客に目を向けた。
「あんちゃんどこだい?」
「あ、私も相馬です」
「かっこいいバイク、あんちゃんのが?」
「あ、はい、私のです」
「いいなぁ」
さらに大先輩が言葉を弾ませる。
「ジープもあったな。かっこいいの」
(――あ、私の車だな、とお腹の中で思いつつ、昔の人は四駆系の車をみんな“ジープ”と呼ぶんだよな、と可笑しくなる。)
「あ、私のです」と喉まで出かかったが、それは二人の弾む会話の邪魔になるなと思い、ふっと笑って湯船の底に言葉を飲み込んだ。
「はいどうも~」
気づけばまた一人。どうやら今日は、この狭い洞窟が大賑わいだ。
地域の、等身大の営みが、この湯の中で絶え間なく循環している。
「じゃ、お先します~」
「あいよ~」
そんな短いやり取りが当たり前のように交わされるこの温泉が、私はたまらなく大好きだ。
飾らない、気取らない。
“普段着の温泉”とはこの事だろう。



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