言わずと知れた東北の名将、伊達政宗。刀剣ブームを巻き起こしたオンラインゲームでも中心人物になるなど、時代を超えて人気を集める武将です。今回は、南東北の伊達政宗ゆかりの地を効率よく巡るツーリングルートをご紹介します。政宗終焉の地である日比谷公園から、生まれた土地、山形の米沢城までを遡る、歴史ファン必見のページです 。
※この記事は、2021年3月12日公開時点の最新情報です。
目次
- 東北ツーリングマップ 伊達政宗の足跡をたどるコース
- 前編 伊達政宗終焉の地から、初陣の地まで
- 【東京】日比谷公園 伊達政宗終焉の地
- 【福島】蘆名氏を討って手に入れた城 鶴ヶ城
- 蘆名氏滅亡を決定づけた摺上原の戦い 跡地
- (小休憩)バイカーの聖地 磐梯吾妻スカイライン
- 【福島】奥州の古参畠山氏を討伐 二本松城
- 父・輝宗をやむなく自らの手で葬った 粟之巣の変事
- 【福島】政宗の名を奥州に知らしめた 小手森城の撫で斬り
- 【宮城】相馬氏との激戦地 伊達政宗初陣の地
- 政宗めぐりの拠点におすすめ ゲストハウス66
- 後編予告
東北ツーリングマップ 伊達政宗の足跡をたどる
伊達政宗は僅か18歳で伊達家当主となったのち、破竹の勢いで奥州を平定し、関ヶ原の乱、朝鮮出兵など、常に歴史の表舞台で活躍しました。伊達家と各氏が覇権を争った関東から南東北の歴史的舞台を、効率よくバイクで巡れるよう、ツーリングコースとしてマップに落とし込みました。ご自身の興味によってスポットをピックアップし、アレンジしてのご利用もお勧めです。
前編 伊達政宗終焉の地から、初陣の地まで
【東京】日比谷公園 伊達政宗終焉の地
伊達政宗と言えば仙台、というイメージが強烈ですが、実は彼は、東京で一生を終えました。日比谷公園の敷地内には、かつて江戸城外にあった仙台藩の上屋敷跡地が残されています。1636年、70歳で江戸参勤に赴いた際、伊達物と呼ばれた政宗は、食道がんにより永眠しました。※諸説あります
東北の旅へ出発する前に、偉人終焉の地を訪れ、これからの旅に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
住所:東京都千代田区日比谷公園1-6
駐車場:公園地下の有料駐車場(タイムズ) バイクは100円/60分
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【福島】蘆名氏を討って手に入れた城 鶴ヶ城(会津若松城)
次の舞台は南東北、福島県です。1587年、南奥羽最大勢力であった蘆名氏の領土で、内紛が勃発します。チャンスを見逃さなかった政宗は一気に攻め込み、見事勝利を納めました。蘆名氏の城であった鶴ヶ城(当時の黒川城)に入城し、奥州を平定しました。
しかし政宗はこの半年前、「北条氏討伐のため小田原への出兵せよ」との豊臣秀吉からの要請を受けていました。それを無視して蘆名氏に攻め入ったため、秀吉から反感を買ってしまいます。結果、豊臣秀吉の奥州仕置により、政宗は 僅か1年で 黒川城から岩出山城(宮城県大崎市)に拠点を移すこととなります。
鶴ヶ城は春になると、庭園の桜の木が一斉に花を咲かせます。天守閣から見下ろす桜もまた絶景ですので、春の行楽シーズンにぜひ立ち寄られることをお勧めします。
住所:福島県会津若松市追手町1-1
開館時間:8:30~17:00
入場料:大人410円
バイク駐車場:無料(西出丸駐車場の一角)
◆蘆名氏滅亡を決定づけた摺上原の戦い 跡地
政宗が奥州の古参、蘆名氏と最後に戦ったのは、猪苗代湖と磐梯山の間、当時摺上原(すりあげはら)と呼ばれた土地です。蘆名氏が頼りにしていた猪苗代城主を、伊達家に寝返らせる等、巧みな準備を水面下で進めました。満を持して攻め入った政宗に対し、蘆名氏はあっさりと敗走します。政宗22歳の6月のことでした。合戦の跡地には、蘆名氏に忠誠をたてた三人の家臣を弔う石碑が建てられています。
住所:福島県耶麻郡猪苗代町長田
◆(小休憩)ライダーの聖地 磐梯吾妻スカイライン
歴史ロマンを巡る道すがら、南東北におけるライダーーの聖地、磐梯吾妻スカイラインに立ち寄ることをお勧めします。活火山の丘陵地を、バイクで颯爽と走れば、まるで小惑星に不時着したかのような非日常間を味わうことができます。政宗の時代にはなかった鉄馬で、南東北の絶景を堪能しましょう。小休憩には、バイク専用の駐車場も完備している浄土平レストハウスがオススメです。
【福島】奥州の古参畠山氏を討伐 二本松城
会津若松市から磐梯山の麓を東へ進み、舞台は二本松に移ります。二本松城の歴史は古く、室町幕府最初の将軍、足利尊氏によって、畠山氏が奥州探題を命ぜられたことから始まります。政宗が生まれるはるか前から、奥州を治めていた畠山氏は、伊達家にとって煙たい存在でした。
粟之巣の変事で父を失った復讐という大義名分を得た政宗は、その場で家督を譲り受け、混乱に乗じて二本松城を攻め落とします。その後、片倉小十郎に城の統治を任せ、自身はさらに奥州平定へと邁進することになります。
住所:福島県二本松市郭内3丁目
時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
駐車場:無料
◆父・輝宗をやむなく自らの手で葬った 粟之巣の変事
1585年、伊達家は畠山氏攻略のため、二本松の領主を次々と没収し、大名としての地位を維持できないよう追い込んでいきました。降伏を申し出るため、伊達家を訪問した畠山義継でしたが、その目的は政宗の父・輝宗の拉致でした。二本松城へ連れ去ろうとしましたが、粟之巣で政宗に追いつかれました。畠山氏に羽交い絞めにされ、身動きの取れない輝宗はそこで、宿敵ごと自分を銃で撃つよう、政宗に命じたと言われています。乱世の最中、政宗は父を自分の手で葬ることになりました。粟之巣は、政宗が家督を継ぐにあたっての、苦い過去が残る土地です。
住所:福島県二本松市沖一丁目
【福島】小手森城の撫で斬り 政宗の威厳を示した事件
政宗の生涯の中で、最も印象の強い事件といえるのが、小手森城の撫で斬りです。奥州平定の5年前にあたる1585年、菊池氏の守る小手森城に、政宗は総攻撃をかけます。1日とかからず落城を果たした政宗はその際、城主である菊池顕綱だけでなく、場内にいた女子供、犬に至るまで皆殺しにしました。後に書状でその数1100人に至ると記されていますが、これは誇張で、実際には800人ほどであったとする説もあります。いずれにせよ、奥州平定の足掛かりとするため、自らの残忍性を近隣諸侯に印象付ける事件となったことはいうまでもありません。現在、小手森城の城郭は愛宕神社の境内となっており、その遺構のみが確認できます。
住所:福島県二本松市針道愛宕森
【宮城】伊達政宗初陣の地 金山城
1581年、政宗の初陣の地となったのが宮城県丸森町の金山城です。政宗が生まれる以前の1576年から約8年に渡り、伊達家と相馬氏は宮城県南部の領地を巡って、争い続けていました。政宗がその争いの中、初陣を飾ったのは元服した14歳の時です。先代から続いている争いとはいえ、伊達家と相馬氏は姻戚関係にある間柄でした。政宗の指南役、片倉景綱は、初陣を控えた政宗に、戦の覚悟があるのか問います。政宗は威厳を持って答えました。
「何はともあれ、敵を倒すのみ」
将来の伊達家十七代当主として、恥じぬ初陣になると、従者たちは感じたでしょう。圧倒的な騎馬軍を有する相馬氏との戦いで、華々しい戦果こそあげられなかったものの、及第点の働きをおさめたことが、伊達家の記録に残されています。金山城はその後、江戸時代になっても奥州の要害としての役割を果たしました。現在は当時の面影を残す石垣が残っています。
住所:宮城県伊具郡丸森町金山谷地木戸
東北の史跡めぐり、初日の宿におすすめ
ゲストハウス66
奥州平定までの道のりを見ると、政宗は仙台よりも南東北を中心に活躍していたことが窺えます。福島県の重要スポットを巡ったあとは、宮城県・角田市にあるライダー歓迎の宿、ゲストハウス66でのご宿泊がオススメです。ゲストハウスの魅力は大きく分けて3つあります。
1.屋内駐輪場完備 バイクのセキュリティ万全
2.リーズナブルなライダープラン 平日素泊まり2800円~
3.系列レストランでの食事が自慢 オーナーは料理人
4.ご希望のゲストには朝食を無料で提供
こちらの詳細については、後編でお伝えしていきますので、お楽しみに。
後編予告
後編では、政宗の人生の集大成となる土地仙台と、彼が生まれた米沢城をご紹介します。宮城を代表するツーリングスポットも合わせてご紹介しますので、前編と合わせて、行楽シーズンのコースを決める際に、ぜひお役立てください。
初日の宿におすすめ、ゲストハウス66へのご予約は下記バナーより受け付けております。
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