福島県いわき市。この街を語る時、多くの人が思い浮かべるのは、南国の楽園を模した巨大リゾートや、美しい水族館だろう。しかし、今回の旅の目的はそこにはない。いわゆる「王道」の観光コースをなぞるつもりは、毛頭なかった。
きっかけは、先日この東北ROUTE66でも紹介した、我が店のなじみの客人だ。彼は今、いわきの地で原発関連の任務に就いている。彼が日々、どのような風に吹かれ、どのような街並みを歩いて現場へ向かっているのか。ふとその「日常」の景色を、自分の目で確かめたくなったのだ。
常磐道を南下しながら、ふと時代の流れに思いを馳せる。いわきの象徴である「スパリゾートハワイアンズ」が、外資の軍門に降ったというニュースは記憶に新しい。東北の人間にとって、前身の「常磐ハワイアンセンター」は特別な場所だ。かつて地域の子供会と言えば、夏休みに貸切バスでここへ連れて行かれるのが定番だった。炭鉱の火が消えゆく中、人々の意地と情熱で築き上げられたあの楽園が、資本の荒波に飲み込まれていく。その事実に、拭い去れない一抹の寂寥感を覚えずにはいられない。
ハワイアンズの華やかなゲートを横目に、私はあえてハンドルを切り、かつての炭鉱住宅が並ぶ古い路地へと潜り込む。そこには、時代の寵児となったリゾートの影で、静かに、しかし力強く息づいてきた「昭和」の足跡があるはずだ。
いわき現着は22時。この深い時間、一般的な宿であればチェックインを済ませて眠りに就くのが定石だろう。しかし、私はあえてこの時間から動くことにした。駅前のコインパーキングを探し回る手間を省き、まずは今宵の拠点となる宿を確保する。選んだのは、駅近くに佇む古びたラブホテル。こうした宿は、深夜の飛び込みでも柔軟に受け入れてくれる利便性があり、何より「昭和の残像」を肌で感じるにはこれ以上ない舞台装置だ。

身軽になったところで、私は夜の街へと繰り出した。目指すは「いわき夜明け市場」。その道すがら、宿から数十メートルも歩かぬうちに、私は足を止めた。「イイジマ模型店」。ひっそりと、だが確かにそこにある看板を目にした瞬間、胸が躍った。昭和の子供にとって、模型店のショーウィンドーは夢とワクワクの詰まった宝箱そのものだ。明日、必ず訪ねよう。そう心に誓い、夜の闇に沈む模型店を写真に収め、灯りの灯る夜明け市場へと向かった。

かつての長屋を再生した市場の路地は、昭和の残り香を色濃く漂わせていた。数軒の暖簾をくぐり、いわきの夜をさらりと楽しんだ後、私は例の「宿」へと戻った。

~日本独自のガラパゴス文化、昭和の「ラブホテル」に宿る地層~
日本独自の宿泊文化を語る上で、避けて通れないのが「ラブホテル」という存在だ。江戸の連れ込み宿から戦後の旅館文化を経て、高度経済成長期に爆発的な進化を遂げたこの空間は、欧米のホテルとは一線を画す、日本特有の「非日常への脱出口」であった。

今回訪れたのは、そんな昭和の熱気がそのまま結晶化したような一軒である。そこでの体験は、現代の洗練された宿泊施設では到底味わえない、予測不能なドラマの連続であった。
蛇口を捻れば、配管が刻んできた歳月を物語る琥珀色の水が顔を出し、お湯が想定に届かなければ、階下の部屋へ居を移す。よれよれの布団や、廊下の賑わいが筒抜けの壁は、現代の「完璧な静寂」が失ってしまった、人間臭い生活の気配そのものだ。しかし、これこそが歴史を積み重ねた宿が持つ、抗いがたい磁力だろう。

宿を営む者として、効率や利便性を追求することは当然の責務だ。だが、こうした場所が放つ「計算では作れない隙と愛嬌」に触れるとき、我々が目指すべき居心地の正解は、決して一つではないことに気付かされる。
あえてその「揺らぎ」の中に身を置き、建物が刻んできた時間を丸ごと受け入れる。それは単なる宿泊ではなく、宿との対話だ。効率重視の旅では決して出会えない、泥臭くも愛おしい昭和の残像が、そこには確かに息づいている。
翌朝、私は高揚感を抱いたまま「いいじま模型店」の前へと立った。しかし、そこにあったのは冷たく閉ざされたシャッターだった。昨晩、気になって調べた情報によれば、なんと79年の歴史に幕を閉じ、先月末に閉店したばかりだという。一歩、遅かったか。昭和がまた一つ消えてしまった事実に、深い落胆が込み上げた。

だが、シャッターに貼られた一枚の紙に目が留まる。「3日はお休みします」。 閉店したはずの店に、なぜ本日の「休み」の告知があるのか。不可解な思いを抱きつつ、私はその場を後にした。
気を取り直し、いわきの地酒を求めて創業百有余年を誇る老舗「あわのや酒店」へと向かう。店内を埋め尽くす充実の地酒群に、酒好きとしての完敗を認め、福島の銘酒をじっくりと吟味する。ふと店内を見渡せば、ショーウインドーには精巧なフィギュアたちが並んでいた。この店主なら、あの模型店のことを知っているかもしれない。

「イイジマ模型店、閉店しちゃったんですね……。行ってみたんですが、空振りでした」
意を決して投げかけた言葉に、店主から返ってきたのは衝撃の一言だった。
「いや、まだやってますよ」
店主の話によれば、完全な閉店はまだ先だという。オーナーが片付けをしながら、訪ねてくる客に「欲しければ売るよ」と、名残惜しむように店を開けているのだ。さらに、往年のユーザーたちが展示していた模型がまだ店内に残っており、その返却が終わるまでは、2月中は店を開け続けるのではないかという。
なんと、あの店はまだ息をしていたのだ。 完全な再会とはいかなかったが、その「まだ続いている」という事実だけで、不思議と救われたような気持ちになった。手元には、いわきの風土が醸した旨い酒がある。これもまた、旅の妙味だろう。




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