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青いザルの句読点

春分の日。昼と夜が入れ替わる節目に、ふとした音が響いた。

からし菜を湯通ししたその瞬間、三十数年使い続けてきた青いプラスチックのザルの取っ手が割れた。

完全に折れたわけではない。薄い皮一枚で繋がっていて、慎重に扱えばまだ使える。だが、手元に伝わったその「パキッ」という軽い振動は、明確な終わりの合図だった。

プラスチックだから、手に馴染むような温もりなんて最初からない。ただ、熱湯をくぐらせ、氷水で一気に締める。そんな無機質な作業を、このザルは私の隣で淡々と繰り返してきた。店を始めたばかりの若かった私の手元にも、この青い色はあった。

特別な愛着があったわけじゃない。ただ、壊れなかったから、そこにあり続けただけだ。私の技術が変わり、出す料理が変わり、歳を重ねていくその傍らで、このザルも少しずつ光沢を失い、くすんでいった。

「まだ、いけるか」

指先で割れ目に触れてみる。繋がってはいるが、もう以前のような頼もしさはない。

そのうち、新しい、どこにでもあるザルが並ぶだろう。

大げさな感慨はないけれど、この青いザルを静かに横に置いた時、一つの長い季節が閉じたような気がした。春の陽光が少しずつ強くなる中で、私はただ、その寿命を受け入れた。

~からし菜の湯通し~

味付けは至ってシンプルでいい。

沸騰した湯に塩をひとつまみ。

根元から入れ、さっとくぐらせる。

すぐに冷水へ放ち、一気に締める。

ぎゅっと絞って、少し揉む。

好みの長さに切り分ける。

鼻に抜けるツンとした辛みと、春の苦味。

だし醤油を少し垂らすだけで、酒の肴にも、飯の供にもなる。

割れたザルの取っ手を気にしながら、今日。

私はこの一皿を仕上げた。