僅かな青空と花曇りが混じる、柔らかな大晦日の朝だった。
目的地は山形・羽黒山。仲の良い友人と二人、十二年に一度の大祭を目指して車を走らせた。
峠付近は路肩に雪があった。
「おお。雪あるねぇやっぱり峠は…」
峠を越え月山に差し掛かる頃には、景色は牙を剥いた。視界をだんだんと狭める吹雪。イエローバルブの灯りを点け、雪できしむワイパーの音を聞きながら、無言でハンドルを握り続けた。
夕刻、膝まで届く雪に包まれた宿場町に到着。お世話になる宿坊「羽黒館」のご主人は、「今日の雪は尋常じゃないですよ」と驚きながらも温かく迎えてくれた。「この一時間でみるみる三十センチ程の積雪が増えた」そうだ。
まずは夕飯。精進の枠を超えた、地元の滋味が詰まった特上の御膳。朝から何も食ってなかったのでご飯を二回おかわりした。これから向かう夜の雪山へ、静かに闘志を蓄えるひと時となった。

さて出発の準備だ。雪山ウェアに登山靴。アイゼンも装着。勢いで来たが不安しかない。が、初体験の光景に好奇心しかない。好奇心が勝るとはこの事だ。
いざ出発。
夏に来た羽黒山参道口のたたずまいは、まったくの別物だった。シンと静まりかえり、遠くの街灯でぼうっと山門が見える。道中の安全を願い、手を合わせて潜り抜けた。
この先は真っ暗だ。聞こえるのは暗闇に消える雪の音だけ。山門をくぐると下に降りる石段があるが、石段がほぼわからずすべて新雪。数十メートル降りて、二人は顔を見合わせる。
「どうする?」
「これぇ…道わかんねぇや」
「滑落とか雪崩とか…」
「んだな…」
「しかも…なんか、おっかねぇど」
ヘッドライトに照らされた闇と雪の深さに、好奇心は一瞬で恐怖へと変わる。夏に参道の茶屋で聞いた「冬に上るもの好きがいますが、命の危険の保証はないですよ」という言葉が、冷え切った肝に突き刺さる。
「ダメだダメだ…車道いくべ」
「んだな」
二人は引き返し、車道へと迂回する決断をした。街灯の光の温かさが身に染みた。
携帯グーグルマップを片手に黙々と進む。街灯もまばらな真っ暗な雪道。降り続く雪の中、途中靴裏にへばりつく雪をたたき落としながら歩き続けた。アイゼンが大正解。しっかり道をつかむ。が、しんどい。さすがにしんどい。
真っ暗な林の中の道をひたすら友人の背中を追いかけながら自問自答する。
そもそもなんでこんなことしてるんだ?
膝がきしむ。履きなれない山靴も窮屈になってきた。いつもの年越といえば赤湯温泉。ぬくぬくと定宿で過ごすのが定番なのに。
二人はそれぞれに思う所があった。何か変えたい。脱皮したい。願掛けしたい。それぞれに思いがあっただろう。が、それはお互い深くは聞かない。そういうものだ。
黙々と歩き続けた。

やがて、羽黒山神社の入り口の光が見える。鳥居をくぐり目に入ったのは榊供養の炎だ。法被を着ながらも肌をあらわにした若者たちが、儀式で使う縄の準備をしている。そこには国籍も時代も超えた、剥き出しの「祈り」があった。

今年は十二年に一度の「羽黒山午歳御縁年」。大みそかは、手向地区から選ばれた松聖と呼ばれる二人の山伏の百日修行「冬の峰」最終日でもある。

有難く参拝を済ませ、新しいお札を胸に収めた。
帰り道、さらに重くなった足を引きずりながらふと気づく。
「これ…往復で十三キロは歩いてんな」
「足いてぇな…」
「んだな。でも、この光が見えるとホッとするな…」
命の灯火のような街灯の下、ボロボロになりながら宿坊へ辿り着き、風呂で身体を解いて泥のように眠った。
翌朝、目覚めたら頭が妙に澄んでいた。十三キロの雪中行軍を経て、余計なものが削ぎ落とされたのかもしれない。
朝食を済ませ宿を出ると、津々と降り続いた大雪が嘘のような光が降り注いでいた。五十センチ以上は積もっているだろうか。町中の人たちが黙々と雪をかいている。若干の青空。清々しい光だった。
大鳥居をくぐり、家路についた。
角田に戻ったら雪がない。まったくない。
夢でも見ていたのだろうか。そんな元旦だった。
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*※筆者は車道を歩いて参拝しましたが、羽黒山有料道路は自動車専用道路です。冬季の参道・車道の歩行は危険を伴います。同じルートを歩くことはおすすめしません。参拝の際は安全を最優先にご判断ください。*
*東北ROUTE66は、測量途中のメディアです。*



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