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豚汁と塩にぎり

3月が来るたびに、あの日のことを思い出す。
東北では毎年この時期になると、震災関連の話題が出る。
他の土地でこの時期を迎えたことがないので、国内でも同じなのかはわからない。
ただ、ここ宮城では毎年、確かにそれがある。
三十数年前、前職に見切りをつけ、食の世界へ入門した。
期待と不安の他に、もうひとつ、腹に据えるものがあった。

当時店で流れる有線放送では広瀬香美の曲がよくかかっていた。
♪絶好調真冬の恋~♪

田舎ではバブル崩壊の実感はまだ薄く、少なくとも飲食の世界はまさに「絶好調」という時代だった。
職を替えて、ふと不思議なことを考えた。

“どうあれ最悪、食の世界にいれば飯は食えるだろう”

あれから三十数年が過ぎ、確かにそうなった。数々の災害や災難を乗り越えた。思えばいつも食べ物には困らなかった。むしろそれを分け与える側。こうさせて頂いている事、今がある事。有難い限りだ。

震災直後、まずスタッフと家族それぞれの安否を確認し、ライフラインを確保した。
昭和40年代建築の旧店舗。建築法以前の時代の建物だったが、総二階建ての大型木造はなんとか持ちこたえた。
余震の恐怖におびえながら、荒れ果てた真っ暗な店内を片づけ終えた。
さて、次はどうするか。
地域一帯への送電は止まったまま。時は週末を控え、仕入れは十分、冷蔵庫は満タンだった。
このまま置いておけばやがて廃棄物になるだけ。1トンクラスの食材を家族で食べきるなど無理な話だ。
今日も命があるのは皆様のお蔭。ならば皆様にお返ししよう。
“明日から炊き出しをしよう”
内陸の角田市には、沿岸からの被災者の避難がすでに始まっていた。
役場や商店には行列が立ち並ぶ。
手書きのチラシを作って配った。先輩の新聞屋さんにも手伝ってもらった。
口伝えで広がった。
直接店に来て尋ねていく人もいた。「いつ食べられるか」ではなく、「私も手伝いたい」という声のほうが多かった。
先輩、後輩、友人、知人、他の飲食店、ご近所さん。
みんなで協力して、豚汁と塩にぎり、他にも出来る限りの料理を作った。
店舗前に長机を並べ、炊き出し開始。
聞きつけた人たちが準備中から長蛇の列をなした。
もう少しよこせというもの。それを譲るもの。手を合わせて拝むもの。涙ながらに感謝するもの。
ありがとう、ありがとう。
汗だくになって、1トンの食材は瞬く間に配り終えた。
途中変わり番こに休憩取ってみんなで食べたしおにぎりと豚汁。あの味もわすれない。

この時代、飲食の世界に大変なことは尽きない。いや、大変でないことのほうが少ないかもしれない。
でも、やっていてよかった。
あの選択は正解だったのだ。
今があるのだから。

~被災対応メモ~
先ず自助。身の安全と状況確認。次に共助。ライフラインの確認と周囲との情報共有。
普段から、在庫と仕入れの把握を習慣にしておく。
いざというとき、食材は「廃棄」ではなく「分かち合い」に変わる。
近隣の飲食店・商店とのつながりも、日頃から大切に。
あの炊き出しが動いたのは、食材だけでなく、人のつながりがあったからだ。